語学そのものが一つの重要な教養である。
一つの国語は、その民族の精神の現われであり、その思想の蓄積であるということができる。
著書:読書と人生
著者:三木清
自分は、なんで多くの言語を学びたいと思うのだろう?
たぶん、新しい自分に出会いたいから。 今まで感じたことのない、心の世界が開けると思うから。 新しい言語を学ぶと、自分が新しく生まれ変わるような不思議な感覚がある。
「違う言語で考えると思考も変わる」という考え方も興味深い。
母国語というフィルターを通して見える世界と、別の言語を通して見える世界は違って見える。 だから、見える景色や感じる世界も、どんどん広がっていくような気がする。
今までの海外生活のなかで、 「なんで、そんなことをするんだろう?」 「なんで、そんなことを言うんだろう??」 「なんで、そういうふうに、考えるんだろう???」 というようなことが、たくさんあった。
文化の違いから、お互いを誤解するような壁にも、何度も直面した。
最終的に、すべての人は、同じ「人間」だが、 相手の言語や文化を理解できるからこそ、理解できる相手のこともあるんじゃないかなって感じる。
自分のなかにある「なんで?」「なんで??」「なんで!??」を、1つずつ、ひも解いていきたい。 だから、より多くの言語や文化を学びたいし、きっとその先には、今までとは違って見える世界があるはず。
たくさんの国の言語や文化を学んで、 感覚、価値観、考え方の違いを、頭だけでなく、心で理解できるようになりたい。 その過程を発信していきたい。
言葉が通じることは、心が通じることにも、つながっているように感じる。
本を読むのも好きで、翻訳された本も良いが、やっぱり原書。
人を介して誰かの話を聞くのと、直接本人から聞くのとでは、やっぱり違う。 多くの本を原書で読みたいから、多くの言語を学びたい。 本を通して世界中の、歴史上の、色んな人たちと出会いたい。